
夏が終わると、あっという間に秋の足音が聞こえる。
空の青さも、雲の様子も確実に秋の気配を感じさせてくれる。
考えてみれば日本の夏も本当に短いと思う。
北海道以外は梅雨があって、例年それなりに寒いのだ。。
今年に限っては蒸し暑かったような気がする、温暖化のせいか。。
梅雨が明けると夏がやってくるのだが、その夏もあっという間に過ぎ去ってもう秋になった。。
僕は、夏が好きなので、秋は何故か物悲しい気がする。
楽しい夏休みが終わって学校が始まる遠い記憶がまだ生きているのだろうか。。
秋が過ぎると、今度はあっという間に冬がやってきてしまう。。
近頃本当に一年が早すぎる気がする。
仕事に追われる生活にも少しくたびれてきた、若い頃のように何処かを放浪したい気分になった。
最近、左肘の動きが良くなっていて、骨を接合するワイヤーが邪魔になる。
うっかり肘を突いてしまうと、猛烈に痛いのだ。
早く抜いてしまいたいのだが、ドクターの診察では、まだ数ヶ月かかるそうだ。。
考えてみれば、まだ3ヶ月しか過ぎていないのに、もうあの時のショックは忘れかけている自分がいる。
- 2008/09/10(水) 19:18:08|
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秋の始めは市川にある梨園に出掛ける。
船橋市、松戸市、市川市のこのあたりは隣接していて梨の産地で有名だ。
お店で買う梨より直接農家で買った梨のほうが甘くて美味しいのは何故だろう。
今日も豊水を買ったけれど、甘かった。。
優作は試食用の梨をいただいてご機嫌。。まだまだ夏の名残で車の中はアツアツ。
少し車から降りて、梨園の横にある竹林を散歩した。
おしっこ厳禁なので、優作はつまらない様子だった。
でも、するわけにはいかないのだ。
骨折した左肘は、すっかり良い感じ。
理学療法士にもドクターにも、良くぞここまで回復できたと吃驚されている。
骨折前を100%としたら、今は85%以上回復している。
動かすだけなら、殆ど問題を感じない。。
あとはワイヤーを抜く手術が終わらないと、最終的な結果は分からない。
毎日がリハビリと同じなので骨が完全に接合されるまで時間が薬というわけだ。
- 2008/08/31(日) 20:57:12|
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左肘頭粉砕骨折、肘のジョイント部分を粉砕してしまった。
機体のフレームに強打したのだと思うが、何処にぶつけたらこんなに粉砕してしまうのだろう。
病院に到着してすぐ撮影したX線写真を見て、事の重大さに気づいて憂鬱になった。。
左肘の可動部分が粉々になって、折れた骨は肘の上側に移動してしまっている。
動かないわけだ。。
神経や靭帯が集まっていて、もっとも骨折するとまずい場所が、ポッキリ折れてしまった。。
しかも粉々になった骨の破片が散らばっているのがX線に写っている、最悪だ。。
左手は意外と頻繁に使う部分だ。。ヴァイオリンなど楽器を持つ場合などかなり重要な役割を担っている。
考えると気が重くなって、痛いことより「チクショウ」という言葉しか思い浮かばなかった。。
入院は免れないとなると、仕事にも支障が出る。。まずい。。ため息しか出なかった。
ドクターの説明では肘の機能は100%は回復しない。。
先ずは手術で骨をつなぐ、針金で繋がらなければプレートを埋め込むと言うことだ。。
その後4ヶ月〜5ヶ月、みっちりリハビリをしないと動かなくなるということだ。。
医学の道を退いて何年も経つが、自分の見立ても満更ではない。。
自分の所見より、良い結果を聞けたら嬉しかったのだが、そんなに甘くは無かった。
シーネ固定して、入院せずに日本に帰国できないか?とたずねたが。。
クレイジーだと一喝。。安静にしていなければ手術すら出来ないと叱られてしまった。
観念して手術を終らせ、手術から2日後退院、翌日帰国の途に着いた。。
ドクター曰く破片が多くて手術が大変だったということだ。
これはある意味簡単には、治らないという警告なのかも知れない。
ますます追い込まれてゆく気持ちで、帰国をすることになってしまったことが残念だ。
帰国し救命時代の同僚に連絡を取り、リハビリを依頼した。。
カルテやX線写真を持ち帰ったが、苦笑いをされる結果となった。
どんなに努力しても、障害が残る覚悟しなければならない。。
一年後後にワイヤーを抜く手術まで地道にリハビリするしかない。
肘は無理をすると取り返しがつかない結果を招く、デリケートな部位である。
どこまで回復できるか未知数だが、はじめから諦めていては、何も始まらない。。
今は思うように曲がらない、というより殆ど曲がらない。。
顔に手が届かないので、洗顔ですら両手では出来ないといった状態だ。
何事も良いほうに考えるたちだが、これはそう都合よくいかないと思い知らされた。
少しずつだが、前向きに前進できるように努力したいと考えている。
アクシデントがあっても、空への気持ちは衰えてはいない。
航空機だけではなくヘリも自在に操ってみたいという願望もある。。
左腕を何とか支障の無い可動域まで回復させたい、今は神にも祈るような気持ちだ。
腕はこんな状態でも車は自由に操縦できるところまで気力は回復はしている。
- 2008/07/15(火) 06:05:10|
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アメリカへ来る理由のひとつに、航空学校でのエアロバティック訓練を受けることがある。
毎年カリフォルニアへ来る仕事のあとに、延長滞在して学校に入る。
2週間程集中して飛行訓練を行い、日本へ帰国することが楽しみとなっている。
しかし今回は不本意な形での帰国となってしまった。。
エアロバティックは小型専用機で決められたマヌーバを行い、アクロバット飛行するというもの。
もちろん日本で同様の訓練を受講することは出来ない。
空の自由を感じられるこの訓練は毎年の楽しみな行事となっている。
僕が所有するライセンスは「Commercial」と「Instrument」。
エアロバテックを行うにはこれとは別に専用のライセンスが必要となる。
航空ライセンス取得の理由は、子供の頃から空を自由に飛びたいと願った夢を叶えるため。
日本国内で許されるる飛行は、自由とは程遠いものである。
ループ、ロール、ストール、Gフォースと戦いながら飛行をするというのは「Fun to Air」そのものである。
訓練4日目、午前10時飛行場に到着、青空に積乱雲が浮かぶまずまずの天候だった。。
天気予報でも風速2〜3ノット程度の穏やかな晴天に恵まれた。
健康診断の後ブリーフィングを行い空へ向かった。
教官機を上空に従えてラジオで入ってくる指示に従いながら、マヌーバをこなしてゆく。
6つ目の演目、90フィートのローパスでサイドスリップを行ったあと、操縦桿を引きフルスロットル。
一気に上空へ垂直上昇し2000フィート付近まで昇り、思いきりレフトロール、エンジンパワーを絞り、
ストールして機体がバックを始めるまでラダーをキック、エレベータを操作して垂直を保つ。
完全ストールして機首が下を向いたらパワーをかけて背面水平飛行へ移行するはずだった。。
しかし、垂直上昇でレフトロールに入り2〜3回転、強風にあおられ機体の軸が大幅にずれてしまう。
機体がきりもみ状態に入り、不規則なGフォースが頭に、目視での天地感覚を失なった。。
姿勢をニュートラルに戻そうと、操縦桿を持った右手に左手を添えようとしたとき、
反動で戻った操縦桿に左手をはじかれるかたちになった。
そのとき肘をフレームの何処かに強打した。。
次の瞬間左肘が熱くなり激痛が走る、機体はきりもみ状態から復帰せずに高度を下げる。
Stall Speed の60ノットを下回っているため、警告アラームが鳴り響く。
機体がくるくる回転を続けているためにGフォースで意識が朦朧とする中
「Pull Up! Pull Up!」怒鳴る声が聞こえた。
我にかえり機体をニュートラルへ。。機首起こすため左手をスロットルへ。。
「痛てて」。。ゴリゴリと音がして激痛で左手が伸びない、操縦桿を放し右手でスロットルを操作する。
速度が回復したところで水平飛行に移行した、高度計は「320ft」を示している。
いっきに1700フィート(約520m)近くも高度を失ってしまった、やばかった。。
左肘を触ってみたが明らかに骨の位置がおかしいのだ。
無駄に医師免許は持っていない、これはかなりひどい複雑骨折だと即座に判断できた。
たぶん素人でも骨折であることは分かったと思う。
ラジオから状況を尋ねる言葉が響いていた「YOU HAD ANY PROBLEMS ?」。。
「My Elbow is Broken」。。「WHICH ONE ?」。。「Left」。。「YOU SURE」。。「Sure」。。
「IT'S TOO BAD」。。「BIG TROUBLE」。。「VERY BIG ACCIDENT」。。
「OK EASY」。。「YOU LOOK LIKE VERY FINE」。。
「EVERYTHING IS OK!」「YOU'LL BE LANDING SOON !」。。。。「EASILY」」。。。。「EASILY」。。
英語はとても表現力に乏しい。
しかも、僕の状態を見てもないのに何がファインなのだ。。肘の激痛は治まるどころかどんどん酷くなった。
とにかく右手だけで着陸するしかない。。この機体はシングルシートなのだから。
普段はパワーを操作しながら降りるが、極限までパワーを絞ったままで失速しないように。。
注意しながらランディングするしかない。
教官機がずっと側に居てくれたので、落ち着いて滑走路まで誘導されることが出来た。
オーバーランに備えて小さな消防車も待機、US版「消防自動車ジプタ」みたいなやつだ。。
静かに地上に近づいてメインギアが接地する音が聞こえた瞬間、操縦桿を足で挟み右手でスロットルオフ。
機体が停止するのを待ってイグニッションをオフ。
そのあとは、機体から身体を出すことも出来ないのでひっぱり出してもらい。
飛行学校のワゴン車で病院へ。。田舎過ぎて救急車を待つよりこちらから向かったほうが早い。
山道の途中で救急車とアクセスし乗り換えて病院へ。。
その後どのようにして到着したか覚えていない、途中で眠ってしまったのだと思う。
- 2008/07/15(火) 04:58:06|
- Speed
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5月の末から仕事でカリフォルニアへ。
ここ数年ワインの仕事をするようになって、年に2回春と秋に訪れるようになった。
日本の北海道より緯度が高いので、朝夕はかなり涼しくなる。
日中はといえば、直射日光をさえぎるものが無いことと、乾燥した大陸であるために
予想以上に暑くなるのだ、7月になると今の季節とは比べ物にならない。
しかし、アメリカ人が何かといえば西海岸というくらいで、
穏やかな気候は北米大陸ではいちばん過ごしやすい部類に入るのではないかと思う。
中学と高校の時、エクスチェンジの学生としてアメリカで過ごした時期がある。
ユタ州という田舎で、ここから航空機で数時間の距離。
当時は田舎過ぎて誰も知らない州であったと記憶している。
スパニッシュフォークという町に住んでいたが、周囲数十キロ圏内に日本人は僕一人だった。
ソルトレイクオリンピックが開催されたことで少しは知名度があがったと思うが、
やはり認知度は低いのではないかと思う。
人間として多感な時期に、このアメリカで過ごしたためこの国は第二の故郷である。
空気を感じると懐かしく感じるのは、東京という土地で育った自分には、
生まれ故郷のようなものが無いからかもしれない。
今でも自分の考え方の原点にこの国で学んだことが含まれていることは、言うまでもない。
- 2008/07/11(金) 22:44:47|
- 街
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